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06/05/11   若返る魔法

今宵、今更臭を部屋中に撒き散らす疑問を一般公開しようと思います。

その疑問とは、

『あなたはNOと言える日本人ですか?』という問いにハッキリ『NO』と答えた人は、『NOと言える日本人』にカテゴライズされるのか否か。

です。

それはそうとして、今日の議題は「アンチエイジング」。

村上龍の『13歳のハローワーク』を読みました、今更ながら。その中に『語学に精通する人は総じて若く見える』という記述があり、さらに『異文化に触れることで脳は刺激されるし、母国語ではない言語で外国人とコミュニケーションが取れたときの歓びや達成感が、その人の容姿を若く保つのではないか』と筆者は述べています。

食事やエステといった直接的な方法を取らないアンチエイジング。なかなか感興をそそるではありませんか。

先日の日記で語った『英語を習得したい。外国語なら何でもよいけど、とりあえず英語』というのはつまりそういうことです。

実際、僕は英会話を勉強し始めてからというもの全身のシワというシワが消えてツルツルに。

なわけはありません、さすがに。

とはいえ、『脳に新たな刺激を与えることで、思考だけでなく容姿も若返る』という意見は興味深く、試してみる価値はあるのではないかと思うわけです。上半身はスーツの背広、下半身はボクサーパンツと靴下、という些か刺激的な格好で思うわけです。

 

 

 

今日のおまけ。

着替えの途中だったんです。

冒頭の疑問に対する答えは、皆さんへの宿題です。400字詰めの原稿用紙3枚に将来の夢と絡めるかたちで書いて次回までに提出してください。お忘れになった方には、サドルの取れた自転車に6時間ほど乗っていただくの刑を処することになります。

 

06/05/08   スワロー

今、僕にはひとつの目標がある。聞いて驚くなかれ、その目標とはナント、『英語を話せるようになる。出来るだけ流暢に。』である。

恐ろしく凡庸な目標。

 

今日の議題は「英会話教材」。

 

実のところ、外国語なら何でもよいのだ。一応、我が国で学習環境が一番整っている『英語』を選んだというだけのこと。

で、とりあえず市販の英会話教材に付録されているCDを聴いてみた。中級者用のものだけど会話はスローなのでどうにか聞き取れる。聞き取れるのだが(というか聞き取れるがゆえに)、ここでひとつの大きな問題にぶち当たる。それは、学ぶ者すべてのエネミーであるところの『絶望的なつまらなさ』。会話の内容があまりにつまらないのである。定価1800円である。

 

つまり僕が言いたいことは、

日常会話とは言ったもののホントにその辺の何でもない日常会話を収録してどうするのですか。

ということであり、

これをネイティブのニューヨーカーあたりに聴かせたら「つまらない」というのを理由に提訴されるでしょうね。そして出版社敗訴の方向で滞りなく進むでしょうね。

ということである。

 

大体、収録に参加した雇われネイティブスピーカーも台本を読んだ段階で、『こんなオモロない会話を収録するなんて罪悪デスヨ。』くらいの文句を言うべきだと思う。

とにかく、『1800円支払って外国人の与太話を必死に聴く僕』という図を客観視したとき、切なさが止まらない。

 

 

今日のおまけ。

誰か止めて。

ただ、swallowという単語が『泣き寝入り』という意味を持つことは(身をもって)覚えました。

 

06/05/05   プロレタリア

数日前、とある本屋でカール・マルクスの資本論をデジタル万引き(携帯電話のカメラ機能などを使用して書籍・雑誌のページを盗み撮る行為)している色んな意味で猛々しい中学生をつぶさに観察していたところ、突然若い女性に、

『あのぉ、私、小林なんですけどぉ・・・』

といった感じで話しかけられました。まあ、小林というのは仮名なのですが、とにかく己の名字のみを武器に突撃してきたわけです。その娘はリクルートスーツに身を包み、いかにも就職活動中といった風体だったので英明なる僕は、

『はは~ん、この娘は大学のOBチックな何者かと待ち合わせでございますな?』

と即座に判断。僕は『人違いだと思いますよ』とクールに切り返しました。しかしその後、度肝を抜く展開。その娘ときたら、

『えっ!?でも・・・私、小林ですよぉ?』

って。

待たれよ、お嬢さん。小林って名字は誰にでも通用するフリーパス的な何かですか?小林って言えば僕は『ああ、なんだ、あなた小林さんだったんですか。早く言ってくださいよぉ』みたいなリアクションを取らなきゃならんのか?

ちょっとちょっと、今僕たちをチラ見して通り過ぎていったそこのオジサンや、この娘さんは僕以外の人にも見える存在ですかいな?と問いたくなるのも致し方なしといった様相。

まあ僕は普通に『いや、人違いですよ』と言い残して、その場からフェイドアウトしたわけですが、その後の僕のミスフォーチュンっぷりったらなかったのです。

職場に戻ったらいきなり前方からキャスター付きの椅子が猛スピードで流れてきて膝を強打するし、電車に乗って座席に着けば熟睡するオッサンの頭部を30分以上に亘って両肩にライドオンさせる羽目になるし、家に帰ればインスタント焼きそばのジェット湯切りで火傷するし、散々。もしや天罰・・・。

っておいおい。じゃあ、なにか。あのとき娘っ子に、
『素敵な名字ですね。それはそうと一緒にお茶でもどうですか?』
とでも言えばよかったってのか!不条理!

 

 

と、上記ような出来事がありまして、一昨日、その娘っ子は僕の高校時代の後輩であったことが判明しました。ごめりんこ、という最も誠実さに欠ける謝罪によりどうにか許しを得たのですが、しかし、後輩であると気付かなかった僕が悪いという結論には正直納得できません。なので、納得できてませんよという類いの顔をありありと見せ付けておきました。一矢報いたか!?

 

06/05/01   バーサーカー

五月になりましたけどもね、きみ、ちょっと飛ばし過ぎですよ。あのね、えっとね、暑すぎます。みんなが暖かくなるのを待ち望んでいる、夏を心待ちにしておる、Tシャツにハーフパンツが似合うと思ったら大間違いですよ。と書かれたプラカードを持って街を徘徊してやろうか。

まったく、『慣れ』というのは毒にも薬にもなる。冬の寒さに慣れた身体は未だに春の陽気を拒絶し続け、夏の到来に恐怖している。夏なんていらねぇよ、夏。

今日の議題は「慣れ」。

 

習慣は、危機的状況を回避する。

居酒屋で酒に呑まれて泥酔し、記憶を飛ばした。どうやって家に辿り着いたのか分からない。けれど、ちゃんとドアの鍵はロックしてるし、靴も揃えてある。部屋着にも着替えている。部屋着がミッキーマウスの着ぐるみだという点以外は異常なし。

というのがその例だ。『慣れ』の『薬』としての側面である。

しかしながら、『悪貨は良貨を駆逐する』というグレシャムの法則の通り、良きことよりも悪しきことの方が目立ってしまうのは世の摂理。『慣れ』においても、『薬』よりも『毒』としての側面の方がより印象深い。

日常で享受する恩恵に対して感謝の念を忘れてしまうのは、『慣れ』が毒として機能しているからに他ならない。『慣れ』という毒を浄化するための血清は『日常を変化させる』、『自分が変化する』の二種類。しかし、たびたび日常を変化させるのは困難なので、自分が変化するしかない。変化するしかないんです。

 

そう、つまり変化するしかないってことです。(いろいろ書いているうちに何が言いたかったのか忘れました。)

 

 

今日のおまけ。

季節も変化するのですから。

いま突然、ママレードBOOWYっていう言葉を思いついたんだけど、この場合、僕はどうすればよいのですか?神様は僕をどうするおつもりですか?

 

会議目次


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